2015年12月31日

【読了33】台湾生まれ日本語育ち

facebookのタイムラインに流れていたのをたまたま目にした。
紹介文を読んで、「これは読まなきゃ!」と感じた。

本屋さんで、「ワレスムザイニホンゴ」という本ありますか?
と言っても通じないだろうと思ったから、facebookの画像を見せて、「これ(我住在日本語)」ありますか?と聞いてみた。店員さんも「ワレスム・・・」と自信なさそうに口にしながらパソコンで検索するが、出てこない。
あ、じゃあもしかして「わたしは日本語に住んでいます。」かも、と言ってまた検索してもらうが、やはり出てこない。すると店員さんが「白水社 温かい、又、柔らかい」と検索して、「ああ、『台湾生まれ日本語育ち』ですね。在庫ありますよ。少々お待ち下さい。」と言って、数分後に「これですね。」と持ってきてくれた。

ようやく出会えた(苦笑)、『台湾生まれ、日本語育ち』
年末年始の家族旅行のお供に、真っ先に選んだ。




台湾人の両親の間に、台湾で生まれ、3歳から日本で暮らし始めた筆者は、何度となく自らに問う。

日本人とは、だれのことなのか? 日本語はだれのものなのか?

来日前までは、当然、台湾語(+中国語)を話していた筆者が、日本での生活が始まるとともに、「なんと言ってもここは日本。だから、まずは日本語を。中国語は、本人が自分でやりたくなってからでいいだろう」という父親の決断のもとに、日本語との関係性を密にしていく。

月日が経つにつれ、日本語が生活の中心に位置付けられていく中で、「自分が中国語を忘れつつあることがさみしかった。一度は自分の中心にあったそのコトバをもう一度取り戻したいという気持ちが、心の片隅にいつもあった」と、第二外国語として中国語が学べる高校に進学する(そこで中国語教師から、「あなたの中国語(台湾訛り)は普通(北京語/普通話)じゃない」と言われたり)。
また家庭では、台湾語・中国語+カタコトの日本語を話す母親のことを「恥ずかしかった」と感じたり。


自分は何人(なにじん)で、自分の母語は何語(なにご)なのかと悩む筆者。
言葉は、<◯◯人(じん)であること>を規定するのか。

自分の国籍が「日本」であったのなら、わたしは今よりも堂々と「わたしは日本人です」と名乗るのだろうか・・・たとえそうだとしても、日本国籍を持ってはいるが、自分は初めから日本人だったのではない、と感じるはずだ。日本国籍を取得したとしても、自分が台湾人だったという事実を、わたしは忘れようとは思わないだろう。(中略)できればずっと、台湾人でありながら日本人でいたい。

僕の周りには、国籍と言語、国籍と出生地、出生地と現在所在地が異なる人がたくさんいる。それによる悩みもいろいろ聞いたけど、その「悩み」を持たない僕は、いつもそれをとてもうらやましく思う。できれば、“仲間入り”したいなと思う。


本書の中で、筆者はいろいろな経験と自問自答を繰り返し、悩みに立ち向かう(本書ではその逡巡が詳細に書かれているので、ここでは敢えて書かないことにする)。
そして、「生きているほんものの言葉とは、たった一つの国家に収束されるような言葉なのではなく、あくまでも個人に属するものなのだ」と気づき、「父の赴任先が、日本の東京ではなく、もっと別の国の都市だったら、この得難いもどかしさは味わえなあったはずだ」と思うようになる。最後のほうで、「そもそも、中国語と台湾語と日本語と、ひとつずつ数える必要はないのかもしれない。三つの母語がある、というよりも、ひとつの母語の中に三つの言語が響き合っている、としたほうが、自分の言語的現実をぴたりと言い表わせるのではないか。」と思うまでに。

そんな筆者は言う。
(あたしも、ふつうのママが欲しかった)。子どもの頃の、そんな自分に教えてあげたい。ママのニホンゴは素晴らしい。今にみんなが羨ましがるようになる。


さてさて、“日本語教師”の端くれでもある僕は、「日本人」や「日本語」をどんなものと考えて、「外国人」に「日本語」を教えてきただろうか。これは専門ではないが、仕事上ときおり口にする「母語」をどんなものと考えて、「外国ルーツの子どもたち」の「母語」教育について議論の場に座っているだろうか。
今年12月1日から文科省で始まった「学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議」で有識者たちの口から出ていた「日本語」や「母語」は、どんな意味をもっているだろうか。きっとそれらは、その場において統一の、何かに定義付けられたものではなかったように思う。それらは、筆者のような数十年に及ぶ「逡巡」を経て語られたものではなかっただろう。「当事者不在」を感じずにはいられない。


それでも、台湾の人々が日本統治時代に「日本語」を「國語・母語」とされたように、厳戒令解放後に「中国語」を「国語・母語」とされたように、今この時代に日本に生きる、多様なルーツを持つ子どもたちは、曖昧な「日本語」と曖昧な「母語」を学ぶことを義務付けられ、奨励されるのだろう。もちろん、当時のような厳罰をもってではないが、ある意味ではそれよりも息苦しい、逃げ場のない空気に包まれて。

そこに僕は、彼・彼女らのような「逡巡」を共有できないけれど、「悩む」ことができなかった自分としての別の「逡巡」をもちながら、それでも曖昧な「日本語」や「やさしい日本語」、「母語」なんて言葉を口にしていくことに、曖昧な「日本語」を生活を豊かにする道具の一つとして身につけようとする人たちのお手伝いをすることに、勇気と自信と覚悟を持って取り組んでいきたいと思う。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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