2016年05月29日

【読了35】日本語で社会とつながろう!

年内に担当することになった、日本語教育関連の某シンポジウムのテーマが「つながる」なんです。
なので、FBのタイムラインでこれが流れてきたときには、「なんてタイムリーな!」と感激して即ポチりました。




とは言え、僕が担当するのは地域日本語教育、いわゆる「ボランティア」が/で運営されている教室が、どう地域社会(=教室の外にある社会資源)とつながるか。その「つながり」は、あくまで学習者の目的達成のための一つの手段として考えるべきものです。

本書の執筆陣は、主に海外の大学で日本語教育をされているので、僕の求めているものとはちがうだろうなと思いながらも、何か参考になることはないかと微かな期待(失礼!)を胸にポチッたわけです。というわけで、【読了】って言っても、ちゃんと読んだのは、はじめにと第4章、座談会、おわりに、だけ。他はさらっとナナメ読み。

「第4章 地域参加型プロジェクト」の【目的】に、「いわゆる『ティーチャートーク』をしない日本人と交流し、その中で地域社会に貢献できるメンバーとして認められるようにな、という目標を掲げています」(pp.105-106)とありましたが、これには7割がた僕たちがシンポジウムで共有したいことに通じるものがあると思います。
3割ほどの違和感には、「認める側の日本人・日本語ネイティブ」と「認められるために努力する外国人・日本語学習者」という関係性を感じたからです。海外の現場ではそうなのかもしれないけれど、少なくとも今度のシンポジウムの参加者とはそういう認識を持つことは避けたいと思います。

次に、「日本語クラスは、学生が選んだ活動に参加する上で必要なコミュニケーション能力を養う場として、また活動での経験や気付いたことを共有したり、活動中に遭遇した問題の解決方法を話し合ったりする場として機能します」(p.106)という点に関しては、「教室」と「地域社会」との距離感があればあるほど、そうなるだろうなとは思います。
実際、地域の日本語教室でも、まるで日本語学校のように文法指導が中心になっているようなところや、学習者もボランティアも「地域外」から参加しているようなところは、「教室」自体が「地域社会」の一部にはなりにくく、一種の「仮想現実」のように感じることも。

一方で、学習者もボランティアも地域住民の集まりになっているようなところは、(それでも「仮想現実」のような活動になっているところもありますが)比較的「教室」も「地域社会」の一部として、その場にいる人たちとのコミュニケーションが、そのまま生活に必要なコミュニケーション能力を涵養していることがあります。これは、ぜひシンポジウムでもみなさんに問いかけてみたいところ。

ということで、本書を読んで感じたことは、

・学校教育における「クラス活動」の場合、学習者がつながる対象は教室外(=地域社会)にある。(少なくとも、本書の活動例では)
・地域日本語教室の場合、学習者がつながる対象には、教室関係者(≒ボランティア)も大いに含まれている。なぜなら、ボランティアの背景・専門性が実に多様で、彼・彼女ら自身が「地域社会」の構成員だから。
・いずれにしても、「日本語クラス」が基本にあって「地域社会」は日本語習得を促す場、と考えるのではなく、人の生活の基本に「地域社会」があって、週に数時間しか滞在しない「日本語クラス」こそが日本語習得を促す場として機能させる、という考え方が大事。
・つまり、地域日本語教育においては、たしかに教室外の社会資源とつながることの意義・価値を改めて見直すとともに、教室の参加者(ボランティア、学習者、その他)自身がお互いにとっての社会資源、つながるべき対象になっているかも考えてみたい。その際の「地域社会」は、必ずしも「日本社会・日本人社会」とは限らず、「社会資源」も日本人とは限らないことを忘れずに。

ってなところでしょうか。

だれとどんなふうにつながることが、だれにとってどんなよいことがあるのか。

そこから考えてみたいなと思います。
シンポジウムの芯になる部分をどーしよっかなーと思ってたので、考えるきっかけをあたえてくれた本書に感謝します。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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