2013年01月29日

【読了5】移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

こんな本だったのか。意外だった。
もっとおちゃらけたものかと思ってた。
読んでみたら、すっげーおもしろくて勉強になった。

imin_no_utage.jpg




本書は12章から成り、章ごとに1つの国または宗教と彼らの食文化をとりあげて紹介している。しかし、僕が興味を持ったのは、その前後に取り上げられる移民の日常生活やネットワーク、そして僕の知る限りこれまでメディアに大きく取り上げられることのなかったコミュニティの様子だ。
ここ数年で読んだ、移民や外国人コミュニティに関するどんなレポートや論文よりもおもしろい。僕の知らないことがいっぱい詰まってた。
ネタバレになるから詳しくは書かない(だから意味不明になっちゃう)けど、備忘録がてら特に印象に残ったところを挙げておく。


第3章 震災下の外国人
東日本大震災における外国籍の犠牲者は41名。(2012/9/6現在)
 ・・・知らなかった。たしかに、引用元の厚労省発表にそう書いてある。僕が知っていたのより10人も多い。


第4章 南三陸町のフィリピン女性
震災から3週間以上が経ち、食料品も十分ある避難所にある物が届けられ、多くの人が喜んだ。それは、「たくわん」。支援する人たちからすると、あまりにも普通すぎて漬物を送るという発想はなかなかわかないが、実際には日頃から食べ慣れ飽きも来ない「たくわん」は、レトルトカレーよりずっと喜ばれた。
 ・・・たしかに、「たくわん」は思いつかなかった。なるほど。

日本で35年、この町に20年、誤解を受けながら長い時間をかけて地元に溶け込みやっと仲間になれたんです。今更、他の土地に住むつもりはないですね。(フィリピン人移住者の言葉)
 ・・・僕の人生よりずっと長い。その時間と苦労を分かち合うことはできないからこそ、敬意をもって接したい。

みんな流されたけど、楽しい思い出は残っているんです。(みんなで)集まってこういう話をする度に、やり直そうという決意が固まる。(被災したフィリピン人の言葉)
 ・・・強いなぁ。「絆」は、ここにもあるんだなぁ。

第9章 西葛西のインド人
「2000年問題」を防ごうと、ITエンジニアが不足している日本はインドに目を付け、企業がインドから多くのITエンジニアを呼び始めた。彼らを最も必要としていたのは、大手町や茅場町など東西線沿線に多い金融機関だった。
 ・・・へぇ〜、日系人とはまたちがった“プル要因”だな。


IT系のインド人は企業の駐在員だから入れ替わりが激しい。すぐに帰ってしまうインド人にも、日本に対して良い印象をもってもらうために、地元の日本人との交流を活性化させようと動き出した。(インド人コミュニティのリーダーの言葉)
 ・・・こんな思いで活動している人がいるんだ。すげー。


「寛容」ではなく、「排他的でない」ということ。前者は「間違った存在や行動を大目に見る」こと。後者は「自分とはちがうものを追い出したりしない」ということで、正しいとか間違っているとかではない。
 ・・・なるほど。「自分と異なるものが同居している状態が当たり前」ってのは、多民族国家ならでは。でも、当たり前だけど、日本人だって一人ひとりみんなちがうんだよな。


第12章 震災直後に生まれたスーダン人の女の子、満一歳のお誕生日会
アジア、アフリカ諸国から視覚障害の若者を招聘し、日本で鍼灸師の資格を取得させ、彼らの生活の独立を手助けするというユニークな団体がある。
 ・・・なんとユニークな!調べてみたらホントにあった。興味深い。



てな感じで、こーゆータイプの興奮は、『深夜特急』以来かもしれない。しかも、どれも1,2日で行ける距離にある。これは今後の旅の候補地に入れておこう。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

【読了3】つないで支える。災害への新たな取り組み

「次に大きな災害が起こったら、そのときは自分も何か支援活動に関わりたい。」と、
そう思っているすべての人に読んでいただきたい。
今後、防災についてだれかと話し合う際には、この本を読んでいることを前提に話を進めていきたい。

本書を読み終えて、心の底からそう思う。
ここに書かれていることを大勢の人と共有できたら、地域の防災力と災害時対応力はどれだけアップするだろう。




以下、感想というか備忘録的に、印象に残ったところをまとめる。

ベーシック・ニーズが満たされない状況下でも、組織のミッションに共感し、その必要性と意義を信じてスペシャル・ニーズを拾い上げることに専念したエリアマネージャーたち。そこにぶつけられる、目の前の課題を何とかしたいというボランティアの想い。
どちらもわかる。だからとても辛い。苦しい。胸が痛い。
やりとげた方々を心から尊敬します。

ロジスティクス班の活動には、これまた頭が下がる。
こういう仕事をしっかりしてくれる人、こういう仕事の重要性を本当に理解している人がいることこそ、組織の強みだと思う。組織の活動への評価は、もっとこういうところに焦点が当てられるべき。ご飯がマズけりゃ、その上にどんな豪華な具材をのっけてもお代わりする気にはなれない。

「課題を拾い出すことまではできるけれど、その課題に対する解決策を示すことが苦手ということが、日本のNPO全体の課題」という指摘に、自分としては返す言葉もない。この言葉は、きっと「解決策を示すことができる人も少しはいるけれど、実際に解決できた人は・・・」と続くんだろう。
問題に気づき、その背景にある課題を見つけ、解決策を示し、着実に改善していく。
自分たちが活動を始めてから、どのくらい問題が改善されたのか。
それを示せるNPOでなければ、と思う。

「避難生活にもQOLの視点を」
東海地域でこのことに本気で取り組んでいる自治体・町内会はどのくらいあるのだろうか。
お遊びいっぱいの防災訓練はもうウンザリだ。僕の知り合いの外国人も、「あのイベント(=地域の防災訓練)は一回参加したらもういい。何回も出るようなものじゃない」と言う。同感だ。繰り返したってレベルアップしないようなのは“訓練”じゃない。“体験”だ。でも、3.11後も各地で“防災体験会”ばかり行われている。早く、QOLの視点をもった人を増やさないと。

復旧から復興への移行期間、ニーズが見えなくなる期間。ここには、見えないものを可視化したり、見えないもののなかから重要なものを見つけ出していく作業があるという。多文化共生分野では、それを今、だれがやっているのだろうか。やっている人は、どれだけそのことを発信し、どれだけの人と共有しているのだろうか。僕の知る限り、被災地のごく一部の人しかいない。あとはもう、自分の地域のこれからのことで精一杯のようだ。


3.11から今日で1年と10ヶ月。
今年、仙台から届いた親戚からの年賀状に「今年の夏には新しい家が建ちそうです」と書いてあった。
今日まで、おじさん・おばさんたちは、どんな時間を過ごしてきたんだろうか。
僕たちはもっと、“今”の被災地・被災者から学ばなければいけないと強く感じた。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

【読了2】タイ・ビルマ国境の難民診療所−女医シンシア・マウンの物語

もう一人のアウンサンスーチー」と聞いて、だれのことを指しているのか想像もつかなかった。
女医シンシア・マウン」という名前を聞いても、誰それ?というのが正直な反応だった。

でも、読み終えた今、「ドクター・シンシア」の名前はもう忘れられないものになった。
彼女のフィールドである「メータオ・クリニック」は、僕の“死ぬまでに行きたいところリスト”の上位にランクインした。

maetao.jpg




そもそも、原著が中国語であるこの本を知ったのは、先月新しく仲間に加わってくれた職場スタッフが学生時代に翻訳したものだというところから。そして、以前から「ビルマ」「難民」というキーワードに関心があったので、早速、amazonで注文した。

この物語(ノンフィクション)は、ビルマ人(カレン族)女医のシンシア・マウンが、1988年に“政治難民”としてタイのメソットという町に居を移し、同じ難民や母国からの移住労働者たちのために開設した診療所が舞台となっている。10名のスタッフからはじまったクリニックは、シンシア・マウンの人柄と活動に対する真摯な姿勢により、2007年には総スタッフ数が500名を超えるまでになった。クリニックには、内科、外科、小児科、眼科、歯科、婦人科、産婦人科、検査室、献血室、義足製作所があり、難民キャンプの敷地内には幼稚園と小学校、孤児院まであるという。
この活動には、世界中から医療従事者らがボランティアとして参加し、各国のNGOが資金や物資を援助している(といっても常に財政は逼迫している)。しかし、中心的な活動を担っているのは、専門家からトレーニングを受けて育った難民自身だ。


もし4,5年前にこの本を読んでいたら、当時の僕は彼女の人柄や活動内容に今以上に感動しただろう。でも、それだけ。今の僕は、彼女の人柄よりも、組織運営や活動展開のし方、人材育成、そして活動の代表者としての役割・動き方が気になって仕方ない。だって、人柄は真似できないところが大きいから。それは成功の大きな要因(とくにここの活動においては)なんだけど、本書もそこにいちばんの焦点を当てているみたいなんだけど、でも決してそれだけではないことは明らかだ。

もし、本書が「慈愛に満ちたマリア様のような女性」でも「軍事政権から生まれた難民の生活」でもなく、“ある一つのNGO活動”という切り口で書かれたとしたら、また別の魅力をもって多くの人に読まれるかもしれないと思う・・・が、きっとそれはあり得ないだろう。やっぱり、ここの魅力は彼女の人柄とそこに惹かれた仲間たち、様々な理由でそこに集う人々との関係性なんだと思う。難民キャンプは世界各地にあり、医療行為を行なっている人たちもたくさんいるはずだから、その中でも「メータオ・クリニック」が注目され多くの共感と支援を得る最大の理由は、活動のノウハウではなく「人」にあるのだ。

組織において、その活動や商品が注目される場合と、組織内の一部の人間にスポットライトが当てられる場合とがある。一概にどちらが良いとか悪いとかは言えない。すばらしい活動や商品が生み出され展開されている背景には必ず、すばらしい「人たち」がいるし、メディア等に取り上げられる「一部の人間」の周りにもすばらしい人たちがいて、その活動は多くの人に良い影響を与えているから。つまり、活動や商品が注目されれば必然的にそれを創り出した人たちに目が向けられるし、一部の人間が注目されれば必然的にその活動が取り上げられ、どちらにしても最終的には「組織」全体が認知されるのだ。

本書を読んで、「ドクター・シンシアに会いたい!」と思う人もいれば、「メータオ・クリニックの活動に参加したい!」と思う人もいるだろう。前者が現地に行けば、彼女たちの活動に共感し、後者が現地に行けば、活動を担う彼女たちに興味をもつだろう。

 人と組織の関係とは、こうありたいものだ

本書を読み終えて、今強くそう感じている。


追記:
本書(日本語版)は、メータオ・クリニックで活動した日本人看護師の手記で締めくくられている。なんと、彼女が日本で働いていた医療センターは、僕の妻が昨年4月まで働いていたところだった。妻に尋ねてみると、彼女とは直接面識はないそうだが、彼女にメータオ・クリニックを紹介したという医師(「メータオ・クリニック支援の会」代表)は、同じ部署で働いていた元同僚だという。
「あー、潤さん(医師)そーゆーのやってたねぇ」、だってさ。
世の中、いろいろな“ご縁”があるものですね。たらーっ(汗)

メータオ・クリニックHP
メータオ・クリニック支援の会HP
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

【読了1】日本を捨てた男たち−フィリピンに生きる「困窮邦人」

2013年、最初に読んだのは『日本を捨てた男たち−フィリピンに生きる「困窮邦人」』(水谷竹秀)。

konkyuhoujin.jpg



この本を知ったのは2012年、たしか新聞記事だったと思う。
困窮邦人」という言葉がとてもキャッチーだったのと、海外で日本人がホームレスになっているなんて考えたこともなかったので、いったいどういうことだろうと気になっていた。

“積ん読”すること半年。
ようやく手にとってみたらおもしろくて一気に読んじゃった。

本書では、それぞれの理由でフィリピンに渡り、それぞれの理由で困窮状態に陥りながらも、それぞれの理由でフィリピンで暮らし続ける5人の日本人男性に対する筆者(『日刊マニラ新聞』記者)の取材記事がまとめられている。

ここで初めて知ったのが、「国援法」というもの。
正式には「国の援助等を必要とする帰国者に関する領事館の職務等に関する法律」(昭和28年8月18日法律第236号」と言い、1953年に公布された。
もともとは戦後にブラジルやドミニカ共和国等の中南米に移民した日本人の帰国支援を実施するために作られたそうで、現在は、海外で無一文になった日本人に対して公費で帰国を支援する際に適用されている。基本的には「貸付」となっており、帰国に要する飛行機代や宿泊費、食費、空港施設使用料、日本の空港から自宅等までの交通費が対象となっているとのこと。

外務省の「海外法人援護統計」によると(※)、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた「困窮邦人」の総数は768人で、うちフィリピンが332人と最多。2位のタイが92人なので、かなりの数と言える。把握しているだけでこの数だから、実際にはもっと多いだろう。
(※WEBで公開されている統計資料には掲載されていないので筆者が取材により入手したものだと思う)

そういう法律や統計があることを知らなかった。
しかし、実際にはその運用(適用して帰国を支援すること)が難しいのだと。なぜ難しいかというと、本書で紹介されていたケースはいずれも「個人の都合」(フィリピンパブのおねーちゃんを追っかけて・・・)により渡比し、手持ちの金を使い果たして困窮状態に陥ってしまったもので、その責任を国の税金で解決するのは「国民への説明が難しい」(by外務省)らしいのだ。なので、まずは日本にいる家族・親戚に相談がいくのだが、人間関係に問題を抱えているため、皆「そんなの知らない。こっちも余裕が無い」と言って断られる。在比大使館も困り果てていると、結局、援護を求めた本人も「もうここで死ぬのを待つ」と諦め、事実、何人もの日本人が当地で孤独死しているのだと。


昨年、日本でも生活保護受給者が戦後最多となり、国会で在日外国人への生活保護法準用を改めるよう発言する議員もいた。「海外での生活困窮者は、母国が面倒を見るべきだ」と。
このとき僕は、生命に関わる問題には国籍を問うべきではないという人道的見地に加え、なぜ日本で生活保護を申請せざるを得ない外国人が増えてしまったかという歴史的背景の認識不足から、この議員の主張に反対していたが、本書を読んで「では、海外で困窮状態にある日本人を日本政府はどこまで面倒見ているのか、すべての海外在住法人を保護できるのか(実際にはしていない)」と思った。

仮に、すべての国で「自国民は自国で保護すべき」というのが基本であっても、実際にはそうはならないと思う。難民や特別永住者のように「母国」に頼りにくい人もいれば、国際結婚移住者のように国籍は母国にあっても日本人の家族、日本社会の一員として生きている人も多いのだから。東日本大震災のときも、多くの在日大使館が各国邦人保護に努めたが、それでも“日本のお世話”にならざるを得ない(そのほうが自然な)人も少なくなかったはず。
それよりも、“お互い様”として受け入れた国ができるだけのことをする、国民もそれを当たり前のように受け入れるほうが、世界が温かく感じられる。フィリピンで困窮邦人が増えるのには、困っている人を当たり前のように受け入れ支援するフィリピン人がいると同時に、支援を拒否する日本の家族・親戚がいるためだとか。

家族さえ救わない経済大国ニッポンと、国民の1割が“デカセギ”でありながらも困窮者を受け入れるフィリピン

なんて言い方は極端だけど、本書が「困窮邦人」を取り上げて伝えようとする<日本社会のあり方>を考えてみることはとても大事なことだと思う。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする