2013年08月17日

【読了9】風立ちぬ/菜穂子

僕は、映画を観てから原作にあたるほうです。
逆にすると、映画がすごくつまんないから。
映像の力は魅力的だけど、やっぱり本の細かい描写や自分なりの想像力には及びません。

ジブリ作品はどれも大好きです。
最新作、『風立ちぬ』もとても良い映画でした。
妻は隣で何度か涙を流していましたが、僕にはそれほどのシーンはなかったように思います。
女性の感性ですかね。
でも、ジブリを観て涙したり、こんなふうに“愛”を感じたりすることはなかったかな。
そういう意味で、新鮮な映画でした。

この本に<原作>というのはないそうですが、堀越二郎氏と堀辰雄氏へのオマージュということで、両氏の著作に触れてみることにしました。

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『風立ちぬ』           『菜穂子』


なるほど、たしかに<原作>じゃないですね。
ほんの一部分をイイ意味で都合の良いようにアレンジして取り入れたんですね。

『菜穂子』は、映画の中の「菜穂子」と同名でも、性格は似ても似つかない。
ってゆーか、こんな性格じゃ映画には使えない。
どちらかと言うと『風立ちぬ』の「節子」のほうが近いけど、やっぱりちがう。
たぶん、宮崎駿監督の“好み”に仕立てられたんだろうな。
“古き良き時代の女性”、“男性の理想像の一つ”、って感じ。
ま、だから僕も好き(笑)

文章自体は一つ一つの描写が細かく、一時期こういうの好きだったときもあったけど、今はなんだかうっとおしく感じました。良し悪しじゃなくて、読み手の気分にマッチしてなかったんでしょう。
でも、ところどころ微笑みたくなるような描写もあって、「あぁ、この人ホントに自分の内面に向き合って生きてたんだなぁ」と感じさせられました。自身との対話力と妄想力、外の世界への観察力がハンパない感じ。


今のところ、別の作品を読んでみようとは思いませんが、
映画『風立ちぬ』はもう一度観ようと思います。
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2013年04月17日

【読了8】コミュニティデザイン−人がつながるしくみをつくる

おもろい!

この本を読んでるときに、何度そう叫んだことか。
デザインは社会の課題を解決するためのツールである」と言い切る著者が、心底そう思っていることが伝わってくる。その一貫した姿勢と、本書には書かれていない細かな手法をもって成果を出しているところに、心からリスペクトする。
まいった。スゲー。




前述の、「デザイン」を他の言葉に置き換えれば、多くのNPO活動に通じる。
でも、実践して成果を出し続けているところは、なかなかない。だからすごい。

みんな、事業終了後にも良い影響が続く状態をつくりたいと思っている。
事業の過程で多くの人を巻き込んでいきたいと思っている。
行政や中間支援組織は、立ち上げを支援していずれは当事者や地元の人たちでと思っている。
少ない予算で、大きな成果を出したいと思っている。

・・・でも、実際はできていない。
山崎氏+studio-Lは、できている。だからすごい。

じゃ、なぜできているか。
本書には、そのエッセンスというか、ヒントぐらいは書かれているが、それだけじゃうまくいかないと思う。行間に詰まりまくっているものを体験しないと、真似するのも容易じゃない。
一言で言うと、「大事なことを、ちゃんと大切にしている」んだと思う。ふつうは、大事だと思っていてもなかなか大切にできない、大切にしているつもりでも足りてないことが多い。大事なことを大切にする、わかっていることを実践するってのは、簡単なことじゃないんだ。

まちづくりのポイントとしては、IIHOE代表の川北さんがいう“人「交」密度”を上げることをまさに実践している。このノウハウは喉から手が出るほどほしい。
“行政参加の手法開発”の必要性については、すごく納得した。ふと、駒崎さんの記事を思い出した。住民参加を促すよりずっと難しいだろうけど、ホントに必要。


・事前にしつこく、事後の活動について確認しておくこと
・当事者の速度で、主体性を取り戻すだけの時間をかけること
・課題に直面している当事者が力を合わせるきっかけをつくること
・コーディネーターが重要なこと
・モノをデザインしないデザイナーにも可能性があること

これらは、日本語学習支援システムの構築においてもっとも重要で留意すべきことだと思う。
このことをもっと関係者と共有しないといけない。


彼とstudio-Lの仕事をもう少しじっくり見てみたい。
本当はプロジェクトのいくつかにフルで参加してみたいところだけど、せめて本書で紹介されているフィールドに行く機会があれば、その場所を訪れてみようと思う。

できれば、次は失敗例をたくさん書いてほしい。
たぶん、そのほうが売れると思う。
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2013年04月03日

【読了7】ホウレンソウ禁止で1日7時間15分しか働かないから仕事が面白くなる

基本的に、話題や流行から半年ぐらい経ったころに気になりはじめる性格です。
この本も、名前は知ってたけどイマイチ読む気になれなかったんですが、こーゆーときじゃないと読まないだろうからと、3/13、イギリスへ飛び立つ直前に、空港の本屋さんで買っちゃいました。

で、おもしろくて機内で一気に読んじゃいました。
こんな人が岐阜にいらっしゃったんですね。



NPOでは、上司/部下ってゆー言葉は、(実際そういう関係性だったとしても)一般的に口にされないように思う。それが良いか悪いかは置いといて、他に置き換える言葉も思いつかないんで、とりあえずそのまま読んでみた。以下、ふむふむと思ったところをいくつかメモ。


現場の声を聞きながら、それに惑わされない。「現場の声」との距離のとり方も大切
 ・・・これ、支援活動にとっても大事なこと。必ずしも、“現場”や“当事者”が、最善の答えや明確なニーズをもっているとは限らない。日本語教育でもよく言われる(けどあまり理解されていない)こと。ニーズは、“聞く”だけじゃなく“見つけ出す”力が必要。

長時間労働が続くと、なかなか仕事が区切れない。深夜遅く帰って、翌朝出社して来ても、昨日の延長線上でずっと続いている感じで、うっかりミスも増えていた気がします。思考のレベルもどんどん浅くなります。(社員さんの声)
 ・・・ああ、よくありますね。気持ちの切り替えが下手。

細かく開発のプロセスを管理する会社や組織では人が育ちにくい。担当者から見れば「だって課長も部長もOKしたじゃないですか」と責任転嫁する余地が生まれる。それでは、個人の問題解決能力や判断能力がなかなか身につかない。
社長や上司から命令されて動いているだけの人間に、当事者意識は絶対に育たない。常に考え、自分の責任で行動し、それが間違っていれば改めることでしか当事者意識は育たない。

 ・・・そっか、育てるのは“当事者意識”か。

「自分しかできない仕事を」と意気込んできた自分を捨て、「自分と同じことをできる人をたくさんつくろう」と考えた。その手段が社内勉強会。
 ・・・まさに、今これが必要!

モノを売る人間は勝手に育つが、部下に売らせる人間を育てるのは難しい。
 ・・・ホントに、おっしゃるとーりです。

職場とは、さまざまな気持ちの集合体。
 ・・・ですよね。


他にもいろいろタメになったことありました。
その時の自分の状況で、タメになるポイントがちがうんだろうけど、ま、今はこんなとこですね。

ちなみに、ウチの基本勤務時間は7時間だから、あと15分延ばすかな(笑)
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2013年03月10日

【読了6】町内会のすべてが解る!「疑問」「難問」100問100答

ここ3,4年、ずっと気になってることがある。
それは、「“自治会・町内会”ってナンダ?」ってこと。

プライベートではまったくかかわりがないんだけど、仕事で他地域の自治会に関わる機会があって、でもそのときはあんまり深く考えなかったんだけど、「多文化共生」とか「地域づくり」とかを進める上では無視できないどころか、かなり重要なんだなーって実感するようになった。

行政も国流もNPO/NGOも外国人コミュニティも大事だけど、日本社会の構成においてこの“自治会・町内会”ってものを解るって欠かせないんだなと。そのわりに、なぜか、それを習う機会はない。たぶん、「習うより慣れろ」の世界で、参加するしかないのかなと。でも正直、その“参加”がちとコワイ。

というわけで、お世話になっている某自治会長さんにオススメいただいて、知ることから始めてみた。

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本書はタイトルの通り、町内会に関する基本的なことから防災や防犯、高齢者対策といったテーマ別の問題、先進的な取り組み事例の紹介などをQ&A形式で書いてあるので、自分が興味あるところ、知りたいところから読める。でも、僕はなんにも知らないし、なんでも知りたいので、はじめから順番に読んでいった。
その中で、いちばん基本的だけどいちばん大事だと思ったところをメモっておく。


Q 1.町内会とは、何をするところですか?
Q81.町内会の活性化には、多くの住民が参加できる工夫が必要なのでは?

この2つの質問の答えには、共通することが書かれている。そもそも“町内会”とは何か?、ということ。
町内会とは、地域の人々が生活していく上で必要な共通の仕事、つまり「共益性」のある仕事を担う組織です。共益性のある仕事とは、たとえば団地で共同使用している浄化槽やアンテナなどの管理、地域の公園など公共施設の管理、地域の防犯・防災、福祉など。こうした地域と地域住民の共同の問題に対処するのが町内会の役割」だと。

でも、「人びとのライフスタイルや家族観などが多様化してきたことで、みんなに共通の課題(=共益性)というものがわかりにくくなっている。そのため、『自分には関係ない』と思うこと・人が増え、町内会への参加や町内会自体の必要性が理解されにくくなっている。そう思う人たちに、どのようにして『共益性』の考え方を伝えていくのか、そこに地域再生の鍵がある」とのこと。なるほど、たしかに。

また、「近年、地域で暮らすためのインフラ整備が進み、公的な社会保障や保険制度等が充実してくると、隣人に依存しなくてもとりあえず生きていけるようになってきている。個人の生活様式が多様化し、気ままな暮らしを求めるようになると、地域の問題に関わることを避ける傾向も現れてくる。しかし、これは地域で住民が孤立化することを意味している。そして、個人中心の生活を営むためには、お金があって自由に経済的・社会的サービスを受けることができること、ゴミの処理や街灯設置、災害時対応などの細かいところまでを行政(や行政から委託された業者など)がカバーしてくれるという条件が必要になる。今、そしてこれからの時代、それが期待できるだろうか?」と。うーん、なるほどナルホド。


これだけでも、“町内会”の役割・必要性は理解できた。
よし、じゃあ僕も参加しよう!

・・・と、そう簡単には行かない。
参加してみたい気持ちはあるが、実際問題、参加する時間がない。
遅くとも朝8時には家を出て、帰宅は24時前後。土日も仕事や研修で9割型家にいない。休みは年末年始とGWとお盆を含めて年に20日もない(うち、半分以上は在宅で仕事してるし)。
自治会どころか、家族サービスすらできていない。。。(深謝)

たぶん、こんなヤツが参加を希望したら受け入れ側も迷惑だろう。もし、ウチの団体に「年に1,2回ならボランティアできるかもしれないんですけど」という人が来たら、正直どーしよーって思う。断りはしないけど、その気持ちを活動に反映させお互いに満足できる妥協点を探るのは大変かも。
なんでも、気持ちだけでやれるもんじゃない。


それでも、なんかここを避けてはいけない気がしてる。
仕事にプラスになるかもってゆー下心から始まって、いち住民として、こんな生活してるおかげで団地内には誰ひとり知り合いもいないし、地域で何やってるかわかんないし、完全に“孤立化”してるボク。それが寂しいってゆー感覚すらないことがどーなんだろってときどき思う。

そんなことを某自治会長さんに相談したら、「ま、掲示板見て地域行事やってたらちょっと顔出してみるところから始めてみたらいい。町内会もそれぞれだから、どのタイミングでどこまでどう関わるかはよく考えてからがいいよ」とアドバイスをいただいた。

とゆーわけで、「定期的に掲示板を見る」ことからやってみよう。
関わるきっかけが見つかるかもしれない。
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2013年01月29日

【読了5】移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

こんな本だったのか。意外だった。
もっとおちゃらけたものかと思ってた。
読んでみたら、すっげーおもしろくて勉強になった。

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本書は12章から成り、章ごとに1つの国または宗教と彼らの食文化をとりあげて紹介している。しかし、僕が興味を持ったのは、その前後に取り上げられる移民の日常生活やネットワーク、そして僕の知る限りこれまでメディアに大きく取り上げられることのなかったコミュニティの様子だ。
ここ数年で読んだ、移民や外国人コミュニティに関するどんなレポートや論文よりもおもしろい。僕の知らないことがいっぱい詰まってた。
ネタバレになるから詳しくは書かない(だから意味不明になっちゃう)けど、備忘録がてら特に印象に残ったところを挙げておく。


第3章 震災下の外国人
東日本大震災における外国籍の犠牲者は41名。(2012/9/6現在)
 ・・・知らなかった。たしかに、引用元の厚労省発表にそう書いてある。僕が知っていたのより10人も多い。


第4章 南三陸町のフィリピン女性
震災から3週間以上が経ち、食料品も十分ある避難所にある物が届けられ、多くの人が喜んだ。それは、「たくわん」。支援する人たちからすると、あまりにも普通すぎて漬物を送るという発想はなかなかわかないが、実際には日頃から食べ慣れ飽きも来ない「たくわん」は、レトルトカレーよりずっと喜ばれた。
 ・・・たしかに、「たくわん」は思いつかなかった。なるほど。

日本で35年、この町に20年、誤解を受けながら長い時間をかけて地元に溶け込みやっと仲間になれたんです。今更、他の土地に住むつもりはないですね。(フィリピン人移住者の言葉)
 ・・・僕の人生よりずっと長い。その時間と苦労を分かち合うことはできないからこそ、敬意をもって接したい。

みんな流されたけど、楽しい思い出は残っているんです。(みんなで)集まってこういう話をする度に、やり直そうという決意が固まる。(被災したフィリピン人の言葉)
 ・・・強いなぁ。「絆」は、ここにもあるんだなぁ。

第9章 西葛西のインド人
「2000年問題」を防ごうと、ITエンジニアが不足している日本はインドに目を付け、企業がインドから多くのITエンジニアを呼び始めた。彼らを最も必要としていたのは、大手町や茅場町など東西線沿線に多い金融機関だった。
 ・・・へぇ〜、日系人とはまたちがった“プル要因”だな。


IT系のインド人は企業の駐在員だから入れ替わりが激しい。すぐに帰ってしまうインド人にも、日本に対して良い印象をもってもらうために、地元の日本人との交流を活性化させようと動き出した。(インド人コミュニティのリーダーの言葉)
 ・・・こんな思いで活動している人がいるんだ。すげー。


「寛容」ではなく、「排他的でない」ということ。前者は「間違った存在や行動を大目に見る」こと。後者は「自分とはちがうものを追い出したりしない」ということで、正しいとか間違っているとかではない。
 ・・・なるほど。「自分と異なるものが同居している状態が当たり前」ってのは、多民族国家ならでは。でも、当たり前だけど、日本人だって一人ひとりみんなちがうんだよな。


第12章 震災直後に生まれたスーダン人の女の子、満一歳のお誕生日会
アジア、アフリカ諸国から視覚障害の若者を招聘し、日本で鍼灸師の資格を取得させ、彼らの生活の独立を手助けするというユニークな団体がある。
 ・・・なんとユニークな!調べてみたらホントにあった。興味深い。



てな感じで、こーゆータイプの興奮は、『深夜特急』以来かもしれない。しかも、どれも1,2日で行ける距離にある。これは今後の旅の候補地に入れておこう。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

【読了3】つないで支える。災害への新たな取り組み

「次に大きな災害が起こったら、そのときは自分も何か支援活動に関わりたい。」と、
そう思っているすべての人に読んでいただきたい。
今後、防災についてだれかと話し合う際には、この本を読んでいることを前提に話を進めていきたい。

本書を読み終えて、心の底からそう思う。
ここに書かれていることを大勢の人と共有できたら、地域の防災力と災害時対応力はどれだけアップするだろう。




以下、感想というか備忘録的に、印象に残ったところをまとめる。

ベーシック・ニーズが満たされない状況下でも、組織のミッションに共感し、その必要性と意義を信じてスペシャル・ニーズを拾い上げることに専念したエリアマネージャーたち。そこにぶつけられる、目の前の課題を何とかしたいというボランティアの想い。
どちらもわかる。だからとても辛い。苦しい。胸が痛い。
やりとげた方々を心から尊敬します。

ロジスティクス班の活動には、これまた頭が下がる。
こういう仕事をしっかりしてくれる人、こういう仕事の重要性を本当に理解している人がいることこそ、組織の強みだと思う。組織の活動への評価は、もっとこういうところに焦点が当てられるべき。ご飯がマズけりゃ、その上にどんな豪華な具材をのっけてもお代わりする気にはなれない。

「課題を拾い出すことまではできるけれど、その課題に対する解決策を示すことが苦手ということが、日本のNPO全体の課題」という指摘に、自分としては返す言葉もない。この言葉は、きっと「解決策を示すことができる人も少しはいるけれど、実際に解決できた人は・・・」と続くんだろう。
問題に気づき、その背景にある課題を見つけ、解決策を示し、着実に改善していく。
自分たちが活動を始めてから、どのくらい問題が改善されたのか。
それを示せるNPOでなければ、と思う。

「避難生活にもQOLの視点を」
東海地域でこのことに本気で取り組んでいる自治体・町内会はどのくらいあるのだろうか。
お遊びいっぱいの防災訓練はもうウンザリだ。僕の知り合いの外国人も、「あのイベント(=地域の防災訓練)は一回参加したらもういい。何回も出るようなものじゃない」と言う。同感だ。繰り返したってレベルアップしないようなのは“訓練”じゃない。“体験”だ。でも、3.11後も各地で“防災体験会”ばかり行われている。早く、QOLの視点をもった人を増やさないと。

復旧から復興への移行期間、ニーズが見えなくなる期間。ここには、見えないものを可視化したり、見えないもののなかから重要なものを見つけ出していく作業があるという。多文化共生分野では、それを今、だれがやっているのだろうか。やっている人は、どれだけそのことを発信し、どれだけの人と共有しているのだろうか。僕の知る限り、被災地のごく一部の人しかいない。あとはもう、自分の地域のこれからのことで精一杯のようだ。


3.11から今日で1年と10ヶ月。
今年、仙台から届いた親戚からの年賀状に「今年の夏には新しい家が建ちそうです」と書いてあった。
今日まで、おじさん・おばさんたちは、どんな時間を過ごしてきたんだろうか。
僕たちはもっと、“今”の被災地・被災者から学ばなければいけないと強く感じた。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

【読了2】タイ・ビルマ国境の難民診療所−女医シンシア・マウンの物語

もう一人のアウンサンスーチー」と聞いて、だれのことを指しているのか想像もつかなかった。
女医シンシア・マウン」という名前を聞いても、誰それ?というのが正直な反応だった。

でも、読み終えた今、「ドクター・シンシア」の名前はもう忘れられないものになった。
彼女のフィールドである「メータオ・クリニック」は、僕の“死ぬまでに行きたいところリスト”の上位にランクインした。

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そもそも、原著が中国語であるこの本を知ったのは、先月新しく仲間に加わってくれた職場スタッフが学生時代に翻訳したものだというところから。そして、以前から「ビルマ」「難民」というキーワードに関心があったので、早速、amazonで注文した。

この物語(ノンフィクション)は、ビルマ人(カレン族)女医のシンシア・マウンが、1988年に“政治難民”としてタイのメソットという町に居を移し、同じ難民や母国からの移住労働者たちのために開設した診療所が舞台となっている。10名のスタッフからはじまったクリニックは、シンシア・マウンの人柄と活動に対する真摯な姿勢により、2007年には総スタッフ数が500名を超えるまでになった。クリニックには、内科、外科、小児科、眼科、歯科、婦人科、産婦人科、検査室、献血室、義足製作所があり、難民キャンプの敷地内には幼稚園と小学校、孤児院まであるという。
この活動には、世界中から医療従事者らがボランティアとして参加し、各国のNGOが資金や物資を援助している(といっても常に財政は逼迫している)。しかし、中心的な活動を担っているのは、専門家からトレーニングを受けて育った難民自身だ。


もし4,5年前にこの本を読んでいたら、当時の僕は彼女の人柄や活動内容に今以上に感動しただろう。でも、それだけ。今の僕は、彼女の人柄よりも、組織運営や活動展開のし方、人材育成、そして活動の代表者としての役割・動き方が気になって仕方ない。だって、人柄は真似できないところが大きいから。それは成功の大きな要因(とくにここの活動においては)なんだけど、本書もそこにいちばんの焦点を当てているみたいなんだけど、でも決してそれだけではないことは明らかだ。

もし、本書が「慈愛に満ちたマリア様のような女性」でも「軍事政権から生まれた難民の生活」でもなく、“ある一つのNGO活動”という切り口で書かれたとしたら、また別の魅力をもって多くの人に読まれるかもしれないと思う・・・が、きっとそれはあり得ないだろう。やっぱり、ここの魅力は彼女の人柄とそこに惹かれた仲間たち、様々な理由でそこに集う人々との関係性なんだと思う。難民キャンプは世界各地にあり、医療行為を行なっている人たちもたくさんいるはずだから、その中でも「メータオ・クリニック」が注目され多くの共感と支援を得る最大の理由は、活動のノウハウではなく「人」にあるのだ。

組織において、その活動や商品が注目される場合と、組織内の一部の人間にスポットライトが当てられる場合とがある。一概にどちらが良いとか悪いとかは言えない。すばらしい活動や商品が生み出され展開されている背景には必ず、すばらしい「人たち」がいるし、メディア等に取り上げられる「一部の人間」の周りにもすばらしい人たちがいて、その活動は多くの人に良い影響を与えているから。つまり、活動や商品が注目されれば必然的にそれを創り出した人たちに目が向けられるし、一部の人間が注目されれば必然的にその活動が取り上げられ、どちらにしても最終的には「組織」全体が認知されるのだ。

本書を読んで、「ドクター・シンシアに会いたい!」と思う人もいれば、「メータオ・クリニックの活動に参加したい!」と思う人もいるだろう。前者が現地に行けば、彼女たちの活動に共感し、後者が現地に行けば、活動を担う彼女たちに興味をもつだろう。

 人と組織の関係とは、こうありたいものだ

本書を読み終えて、今強くそう感じている。


追記:
本書(日本語版)は、メータオ・クリニックで活動した日本人看護師の手記で締めくくられている。なんと、彼女が日本で働いていた医療センターは、僕の妻が昨年4月まで働いていたところだった。妻に尋ねてみると、彼女とは直接面識はないそうだが、彼女にメータオ・クリニックを紹介したという医師(「メータオ・クリニック支援の会」代表)は、同じ部署で働いていた元同僚だという。
「あー、潤さん(医師)そーゆーのやってたねぇ」、だってさ。
世の中、いろいろな“ご縁”があるものですね。たらーっ(汗)

メータオ・クリニックHP
メータオ・クリニック支援の会HP
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

【読了1】日本を捨てた男たち−フィリピンに生きる「困窮邦人」

2013年、最初に読んだのは『日本を捨てた男たち−フィリピンに生きる「困窮邦人」』(水谷竹秀)。

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この本を知ったのは2012年、たしか新聞記事だったと思う。
困窮邦人」という言葉がとてもキャッチーだったのと、海外で日本人がホームレスになっているなんて考えたこともなかったので、いったいどういうことだろうと気になっていた。

“積ん読”すること半年。
ようやく手にとってみたらおもしろくて一気に読んじゃった。

本書では、それぞれの理由でフィリピンに渡り、それぞれの理由で困窮状態に陥りながらも、それぞれの理由でフィリピンで暮らし続ける5人の日本人男性に対する筆者(『日刊マニラ新聞』記者)の取材記事がまとめられている。

ここで初めて知ったのが、「国援法」というもの。
正式には「国の援助等を必要とする帰国者に関する領事館の職務等に関する法律」(昭和28年8月18日法律第236号」と言い、1953年に公布された。
もともとは戦後にブラジルやドミニカ共和国等の中南米に移民した日本人の帰国支援を実施するために作られたそうで、現在は、海外で無一文になった日本人に対して公費で帰国を支援する際に適用されている。基本的には「貸付」となっており、帰国に要する飛行機代や宿泊費、食費、空港施設使用料、日本の空港から自宅等までの交通費が対象となっているとのこと。

外務省の「海外法人援護統計」によると(※)、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた「困窮邦人」の総数は768人で、うちフィリピンが332人と最多。2位のタイが92人なので、かなりの数と言える。把握しているだけでこの数だから、実際にはもっと多いだろう。
(※WEBで公開されている統計資料には掲載されていないので筆者が取材により入手したものだと思う)

そういう法律や統計があることを知らなかった。
しかし、実際にはその運用(適用して帰国を支援すること)が難しいのだと。なぜ難しいかというと、本書で紹介されていたケースはいずれも「個人の都合」(フィリピンパブのおねーちゃんを追っかけて・・・)により渡比し、手持ちの金を使い果たして困窮状態に陥ってしまったもので、その責任を国の税金で解決するのは「国民への説明が難しい」(by外務省)らしいのだ。なので、まずは日本にいる家族・親戚に相談がいくのだが、人間関係に問題を抱えているため、皆「そんなの知らない。こっちも余裕が無い」と言って断られる。在比大使館も困り果てていると、結局、援護を求めた本人も「もうここで死ぬのを待つ」と諦め、事実、何人もの日本人が当地で孤独死しているのだと。


昨年、日本でも生活保護受給者が戦後最多となり、国会で在日外国人への生活保護法準用を改めるよう発言する議員もいた。「海外での生活困窮者は、母国が面倒を見るべきだ」と。
このとき僕は、生命に関わる問題には国籍を問うべきではないという人道的見地に加え、なぜ日本で生活保護を申請せざるを得ない外国人が増えてしまったかという歴史的背景の認識不足から、この議員の主張に反対していたが、本書を読んで「では、海外で困窮状態にある日本人を日本政府はどこまで面倒見ているのか、すべての海外在住法人を保護できるのか(実際にはしていない)」と思った。

仮に、すべての国で「自国民は自国で保護すべき」というのが基本であっても、実際にはそうはならないと思う。難民や特別永住者のように「母国」に頼りにくい人もいれば、国際結婚移住者のように国籍は母国にあっても日本人の家族、日本社会の一員として生きている人も多いのだから。東日本大震災のときも、多くの在日大使館が各国邦人保護に努めたが、それでも“日本のお世話”にならざるを得ない(そのほうが自然な)人も少なくなかったはず。
それよりも、“お互い様”として受け入れた国ができるだけのことをする、国民もそれを当たり前のように受け入れるほうが、世界が温かく感じられる。フィリピンで困窮邦人が増えるのには、困っている人を当たり前のように受け入れ支援するフィリピン人がいると同時に、支援を拒否する日本の家族・親戚がいるためだとか。

家族さえ救わない経済大国ニッポンと、国民の1割が“デカセギ”でありながらも困窮者を受け入れるフィリピン

なんて言い方は極端だけど、本書が「困窮邦人」を取り上げて伝えようとする<日本社会のあり方>を考えてみることはとても大事なことだと思う。
posted by 土井佳彦(Yoshihiko DOI) at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする